気楽に、楽しく俳句に親しんでみませんか
「水明」は、高浜虚子の高弟で、女性俳句の振興に尽力し女流俳人の草分けであった、長谷川かな女によって昭和5年(1930年)に創刊された俳句雑誌で、来年には95周年を迎えます。水明俳句会は、かな女以来4代の主宰を経て、平成30年(2018年)に山本鬼之介が第5代主宰を継いでいます。
気楽に、楽しく俳句に親しんでみませんか。「各地句会」もたくさんありますので各位のご事情に合った句会に参加して、充実した俳句の時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
皆様のご参加をお待ちいたします。
気楽に、楽しく俳句に親しんでみませんか。「各地句会」もたくさんありますので各位のご事情に合った句会に参加して、充実した俳句の時間を過ごしてみてはいかがでしょうか。
皆様のご参加をお待ちいたします。
今月の主宰の句
今月のかな女句
華の一句
今月の巻頭句
水明の歴史と歴代の主宰
初代主宰・長谷川かな女 (昭和5年(1930年)9月〜昭和44年(1969年)9月) |
近代俳句の元を築いた高浜虚子の高弟で、女性俳句の振興に尽力し、大正から昭和初期にかけての女流俳人の草分けであった長谷川かな女によって、昭和5年(1930年)9月、浦和の地で水明が創刊されました。
当時、全国から実に多くの人が水明に入り、その後俳壇において水明の名を盤石にしました。昭和20年を境とした戦前戦後の混乱期においては、水明も多大な影響を受けましたが、かな女主宰はじめ会員諸氏の弛まぬ努力と熱意によって苦難の時代を乗り越えました。
当時、全国から実に多くの人が水明に入り、その後俳壇において水明の名を盤石にしました。昭和20年を境とした戦前戦後の混乱期においては、水明も多大な影響を受けましたが、かな女主宰はじめ会員諸氏の弛まぬ努力と熱意によって苦難の時代を乗り越えました。
初代主宰・長谷川かな女は、約40年間浦和に居住し、多くの句集や随筆の刊行を通じて、旧浦和市民や埼玉県民の教養と文化活動の普及を推進した功績によって旧浦和市の名誉市民に推され、埼玉県文化功労賞を受賞、さらに紫綬褒章を受章しました。
かな女は昭和44年(1960年)9月22日に82歳で永眠、勲四等宝冠章を受章し、旧浦和市葬が営まれました。
長谷川かな女の句碑が、さいたま市浦和区岸町の調神社と南区別所の別所沼公園にありますので是非ご覧になってください。( 掲載写真は別所沼公園の句碑です。「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」 )
かな女は昭和44年(1960年)9月22日に82歳で永眠、勲四等宝冠章を受章し、旧浦和市葬が営まれました。
長谷川かな女の句碑が、さいたま市浦和区岸町の調神社と南区別所の別所沼公園にありますので是非ご覧になってください。( 掲載写真は別所沼公園の句碑です。「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」 )
第二代主宰・長谷川秋子 (昭和44年(1969年)9月〜昭和48年(1973年)2月) |
かな女亡き後、長谷川家の嫁・長谷川秋子が二代目主宰を継ぎ、その美貌と才知を称賛されましたが、昭和48年(1973年)2月、46歳の若さで急逝しました。
第三代主宰・星野紗一 (昭和48年(1973年)2月〜平成17年(2005年)12月) |
長谷川秋子主宰の元で当時編集長をつとめていた星野紗一が、三代目の主宰に就任し、以後平成17年(2005年)12月まで、32年間の長きにわたり水明俳句会の重責を担いました。
第四代主宰・星野光二 (平成18年(2006年)1月〜平成30年(2018年)10月) |
平成18年(2006年)1月、四代目主宰を実弟の星野光二が受け継ぎ、以後10年の間に、水明創刊80周年・創刊1000号記念と、創立者である長谷川かな女の偉業をまとめた「長谷川かな女全集」の刊行・創刊85周年など、節目の記念行事を采配してきましたが、薬石効無く平成30年(2018年)10月29日に逝去しました。